2月23日(月)

内田春菊の代表作であるこの有名な本、
『ファザー・ファッカー』の存在は、
もちろん以前から知っていた。

わたしの中でのこの本の知識は、
”特殊な”幼児期を過ごし、大胆に人生を
歩んできた個性派の女性が書いた自伝・・・
といったぐらいのもので、とくにこれまで
読みたいというほど、興味をそそられる
題材ではなかった。

そう、これまでは・・・
なぜ今になってこの本を読もうと思った
かというと、それは、今翻訳している
ある人の自伝に関係がある。

幼児期に親から愛情をうけるのは大切な
ことである。これはごくあたりまえのこと
として、普通に生きていれば、当然、
常識として体に染みついているだろう。

だけど、果たしてその逆はどうか。
幼児期に親から愛情を一切うけないで
育った場合、子どもはいったいどうなって
しまうのか・・・・
正確に答えられる人はいるだろうか・・・。

多少の見聞きで知っている想像の世界と、
いざそういう人の人生を目の前にするのでは
天と地ほどの違いがある。

もちろん、正確な答えなどない。
当人にしかわからない一生の問題だろう。
他人がとやかく関われる問題ではない。
だが、あえて今、わたしは正面から、そのある意味、
神聖な問題に立ち向かわなくては
ならなくなった。

それも翻訳者として・・・

この二ヶ月というもの、わたしは向き合おうと
するたびに、どうしようもない嫌悪感に
襲われて、正直、何度も投げ出したくなった。
これは翻訳者としての創造を駆使するなどと
いった生易しいものでは収まらない。

ただ英語を日本語にしてくれといわれれば
簡単にできる。難解な英語は一切でてこない。
だが、そんな翻訳機械のようにはなれない。
今までのように、創造を駆使できるような
楽しい世界でもない・・・

この数週間、すっかりお手上げ状態だった。

いつまでもうじうじと、できる・・できない・・
できる?!いや、できないっっっと、どうしても
嫌悪感から抜け出せない私を著者は暖かい想いで
忍耐強く信頼してくれている。
これを訳せるのは私しかいないと、はじめから
私をただ信頼してくれているのだ。

そして、ようやく決心した。

決心したはいいが、圧倒的に知識が足りない。
そこで思いついたのが、この
内田春菊の『ファザー・ファッカー』だ。

どうしてもこれを!!というわけではない。
わたしの乏しい記憶で、幼児虐待の本といって
でてくるのは、この本しかなかったのだ。

もう少し分厚い本を想像していたが、文庫本に
なっていたせいもあって結構薄かった。

一気に読んだ。
淡々とした文章を、圧倒的な説得力に押される
ようにして、一気に読んでしまった。
偶然とはいえ、この本を今手にとってよかったと
思う。

今翻訳しようと思っているのは、350ページからなる
超大作だが、このあっという間に読めてしまった
薄さにも関わらず、ファザーファッカーは、一ページ
一ページがまさに宝箱のようだった。
今まで解けなかった著者の行動のわけが、この本の
おかげで理解できた箇所がいくつもあった。
ヒントがぎっしりと詰まっていたのだ。

後半になって、養父から性の虐待をうける場面の
あたりからは、今回の翻訳とは関係がなくなるが、
しかし、性にたいする受け止め方という点では、
養父の存在、つまり親であって親でないという
悲劇は、どこかつながる部分があるかもしれない・・

とにかく、これは一種の使命のように思って、
気合をいれなければと思う。

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